語る会は、参加費400円をいただいております。

 

25年度からの内容は、「語る会」にまとめてあります。



2017~2018




2018年8月11日土曜日 語る会



参加者5名


■自己紹介


・水質検査の会社で働き始めた。長く働きたい。


・涼しくなって欲しい。


・部屋を片付けたい。


・1年ぶりに参加する。病院の掃除の仕事が3年目。だが、給料アップは望めない。父が老人ホームへ入所。母も施設へ通所。


・仕事は8年目。クーラーが効いたオフィスで恵まれた仕事。69歳の母に叱られている。



■近況


・外仕事で、夏暑く、冬寒いが、体調はいい。仕事をすることが健康法になっている。



・水を飲んで汗をたくさんかく。倉庫仕事をしている。暑くて着替えをもっていく。



・仕事のパターンが決まってきた。外で1時間作業して休憩が30分。タイムテーブルが出来てリズムが整った。家事はヘルパーさんに頼んでいる。母の介護のヘルパーさん。区役所で介護保険の認定を受けて利用できる。ケアマネは福祉サービスの弁護士的な役割をしてくれて、要支援、要介護などの認定に応じたサービスが受けられる。母が入所すると同居の家族がいなくなってしまう。障害者のヘルパーを使って一人暮らしをするだろう。以前、障害者のためのヘルパーは断ったことがあるが、49歳になって再度お願いするかもしれない。職場には84歳で働いている人がいる。私もそのぐらい働きたい。酒は飲まない。煙草も辞めた。給料が安い。



・転職したい。リセットしたい。要らないものを捨てたい。断捨離したい。片づけのプロの話しによると、捨てる、要らない、要るの段ボールに分けていく方法がいいらしい。



・私も服を買いすぎてしまう。使わない服をいくつも持っている。



・私はおもちゃ、プラモデル、ブロックが好きでたくさん集めてしまった。が、母に片づけなさいと叱られる。強引に片づけられると気分が悪い。



・職場の工場長からのパワハラが酷い。あほ、バカの怒号が飛ぶ。親が「そんなの単なる口癖だ」だと済ます。私は傷つく。つらい。言葉の暴力だ。



・職場の相手のからの指示のニュアンスが上手くとらえられない。ずれてしまう。うまく伝わらなくてトラブルがあった。「今日来るよ」「今日来たよ」というちょっとした違いを聞き逃してしまう。しっかりメモしたり、写真で証拠を撮っておくようにしたい。



・ワークシェアで、一人でやってた仕事を二人でやるようになった。それもストレスでイライラする。もう一人が雑過ぎる仕事で。




■最後に


親が高齢になっている。待ったなしで一人暮らしが必要になる。仕事を安定させて健康に注意していきたい。


ありがとうございました。


2018年1月13日 土曜日 語る会 @東生涯学習センター
 
FPファイナンシャルプランナーに聴きたいこと。
障害者ならお得になる制度について。手帳を持っているメリット。税金、生命保険、控除、サービス。ケータイ代、NHK、年金について。
 
 
参加者:A,N,S,K,Z,F
初参加3名、女性1名。
 
◆話したいこと、聞きたいこと、自己紹介。
 
・統合失調症、20年ぐらい、クローズで働いていた1年間ぐらいで辞めることが多く、手帳を持ち始めて生活訓練をしている。そろそろ仕事探しをしたい。A型就労継続型事業所を希望している。
・統合失調症とてんかん、ホテルで働いていた。人間関係の勉強をしている、仕事について、事務の仕事に就くにあたってどんななことに気を付けているか。
・3級の手帳を持っている。就労中で8年目。体調もいい。
・発達障害、手帳を取ったばかり。仕事を探している。
・統合失調症15年、発達障害も。自営業の手伝い。コミュニケーションの能力を高めたい。
 
◆聴きたいこと、話したいこと。
事務の仕事はどんなことをしているか?
PCを使って給与計算、環境整備としてシュレッダーを主に担当している。女性の多い職場で身だしなみに気を付けるようにい言われている。プログラマーとして就職して時に比べて簡単な仕事をしている。
 
経験はないが、適性検査で事務が向いていると判定された。
 
事務ではPCの入力間違えがないように気を付けている。数字の間違えは致命的。しっかり見直しているがたまに間違える。
 
Excelを使えるといい。関数if、SUM。マクロが使えると重宝がられる。
 
パソコンと身体を動かす仕事の両方ある職場をさがしている。物流関係が良いと思っている。
面接ではどんなことを聞かれる?
普段の生活、朝起きる時間、病気のこと、どこの病院か、薬が安定して飲めているか、主治医が働いていいと言っているか。
 
銀行は金銭を扱う事務で非常に厳しかった。
 
週に一回ハローワークへ通って紹介状を切ってもらっている。これまでに20件以上応募しているが、面接は数件。
 
人間関係に課題がある。自分のことばかり話してしまう。それで精いっぱい。仕事やって食事の支度、洗濯、買い物などを自分でやっていると疲れ切ってしまう。
 
お客様に精神的にショックなことを言われて、クレームを押し付けれて退職した。
 
庶務の仕事をしている。掃除やごみ捨てもある。
 
トヨタ系の職場の面接は人気もあって非常にレベルが高い。難しい。
 
マンガ喫茶の掃除の仕事を2年間していた。清掃ばかりで、その後のキャリアを考えて嫌になってしまった。今は自営業の手伝いをしている。仕事をやっている感、やりがいがある。しかし、親も高齢で仕事も減ってきている。家業を継ぐ人がいない。
 
 
無職で昼間、家の近所を歩くのが嫌だ。暇そうにしていて仕事をしていないことが負い目に感じて人の目が気になる。外を歩きたくない。
A型事業所で一日、4時間程度働く予定。
 
◆最後に
いろいろ話が聞けてよかった。また聞きたい。
初めて聞く情報があった。
参考になった。


ご参加いただき、ありがとうございました。



議事録 平成29年9月9日語る会
参加者、9名。


■自己紹介。

・半年ほど障害者枠の事務員。契約を更新できないと言われていて、また就職活動を始める予定。元非常勤公務員、元塾講師。


・昨年6月に退社。大学に社会人入学。


・軽度の発達障害。普通に会社員をしている。


・障害者枠の会社員。工場勤務。対人恐怖。トラブルや不満はあるが4年以上続いている。障害というより、性格や個性であると思うようにしている。


・20年統合失調症のため、服薬している。仕事をしても、1年程度しか続かない。障害福祉手帳を取得して就職活動を始める準備をしている。今は生活訓練事業所に通所。


・障害者枠で食品工場勤務。以前は、大卒で営業マン。6年前にうつ病と診断されたが、3年前に双極性障害と再診断された。ADHDの傾向。衝動的に浪費してしまうのが悩み。


・双極性障害。A型作業所に所属している。以前は、飲食店で働いていた。楽天主義で生きたい。


・ASD+ADHDの傾向。介護福祉系の仕事に就いている。一般枠で就職して10年ほど現職にあるが、仕事で上手くいかず診断を受けたところ、中途で発達障害と判明した。


・発達障害。会社員として10年以上勤務中。仲間を探している。


■近況、話したいこと、聞きたいこと


1)障害をオープンにして障害者枠で入社して4ヶ月ほど経つ。最近、1週間ほど仕事に行けない身体的症状がある。会社の入り口までは行くが、そこから中に入れない拒否反応が起こる。今日はみなさんと自分の現状と今後について相談したい。

事務職が好きで障害者枠で事務員として採用された。その会社では、精神系の障害の障害者枠採用は自分が初めてのケースだった。採用後6ヶ月も待たされて、最初の3ヶ月は工場現場の実習をするように命じられた。3ヶ月実習後もさらに工場勤務が続いている。仕事はラインでの検品作業で単調かつ集中力の要る仕事だ。衝動性のある自分の特性を考えると全く仕事と合っていない。これからも数ヶ月は工場勤務が続くことに拒否反応がある。事務員として仕事には自信があるので異動したい。しかし、ジョブコーチが、職場に来てくれない。会社との交渉も自分一人ではできない。


一般的にジョブコーチは就職活動から引き続き支援する就労移行事業所、障害者職業センター、就業・生活支援センターなどのスタッフが担当する。それらのジョブコーチは就職相談からなら、職場定着支援も受けやすい。しかし、就職してから「定着支援」だけを頼めるジョブコーチは少ないようだ。地元市役所の福祉課職員が対応してくれるようだが、ノウハウが少なく頼りない。

今は発達障害に特化した支援施設を頼りにしている。


2)ADHDの特性でアイドルの握手会に給料以上のお金をつぎ込んでしまう。借金もある。夏のツアーで一気に遣ってしまった。

今は、親に管理してもらってお小遣い制にしている。


3)介護福祉系の職場に10年以上勤務している。毎日、怒られてばかりいる。後から入社した後輩の方がずっと仕事が出来る。発達障害を疑って診断をうけた。手帳を取得した。しかし、周囲からの理解が全くない。せっかく10年勤めたが、一区切りで退職・転職を考えている。10月の障害者の合同面接会に参加する。対人仕事で、部屋全体を見渡して、一人一人にも注意するのが苦手。しかも事故に繋がる可能性もあり、しんどい。高齢者介護で腰などを痛めて苦しい。

対人の仕事よりも モノや書類を作る仕事に転職したい。

ただ、福祉の資格もケアマネなどを受ける予定もある。

サービス管理責任者(サビ管)の資格も検討しているが、職場で認められていないので難しい。


4)統合失調症で就職活動は、期間をどれだけかかるか?

半年以上かかるケースもある。統合失調症の場合、幻覚や引きこもりがなくても、認知機能の障害があるケースが多い。認知機能は集中力や段取り、記憶力など仕事に必要な機能が大きく関わっている。

ただ、職種を充分選んで、職場に理解があれば、仕事が出来る人もいる。生活訓練施設に通いながら、自分の特性を他人にわかりやすく説明する言葉を探すことを勧める。単に人間関係に弱いだけでは伝わらない。どんな場面のどんな言葉に苦しむか?どんな配慮が必要か?強みや弱さを把握する。

10-20社、受けて落ちることもある。就業・生活支援センターに相談するのがいいと思う。学歴は40歳を超える年にもなれば関係ない。短い職歴が多いのも長期引きこもりではないなら、大きなマイナスではない。


5)地元で仲間がほしい。

家族会を通じて探せないかと思っている。

家族会は当事者は参加出来ないことが多い。地元の当事者会を探すのが一番いい。ボランティアグループなども探してみるといい。


仲間を作る時は、高圧的に威張っている、自分のことばかり話す、協調性がないなどの特性、個性の人は避ける人が多い。


平成29年(2017年)812日語る会


初参加2名。女性4名。合計12名。




 
自己紹介
・半年間事務員として働いている。来年3月までの予定。統合失調症の認知機能の障害があると言われる。
・発達障害でA型就労継続事業所に通所している。一般企業での就労を希望している。名古屋で働きたいので情報を求めている。
・支援者。大学の教員。看護師として働いていた。
・発達障害。10年以上勤めている会社で自分に対する暴言が酷い。ゼロからリセットしたい。
・双極性障害。ノーチラス会の名古屋支部の代表をしている。
・発達障害。A型就労継続事業所に通所。ボランティアもやっている。
・双極性障害。就労継続支援のケーキ屋さんで当事者スタッフをしていた。
・発達障害。軽度。会社員。
・統合失調症。病院の清掃の仕事を継続中。
・自助会 若葉にも参加。
・統合失調症。事務6年半。順調。
・自閉症。工場で4年半。職場で孤立。
 
近況
・自分は今の職場をリセットしたい。派遣社員になりたい。辞めようか迷っている。
・以前は、当事者スタッフで給料は高かった。しかし毎年入院するなど体調管理ができなかった。迷って結局退職した。後悔はしていない。今はA型事業所に通所している。給料は安いけれど、気持ちは楽だ。
・私も退職した。家でずっと寝ていた。転職活動がキツイ。辞めても続けてもいいところ、悪いところの両方があり、一概に言えない。現在、コンビニでアルバイトしてみたいと考えているが、症状のことで不安だ。毎日はキツイので週2,3日で2から4時間程度ならできそうだ。B型も考えたが、給料が安すぎる。時給50から200円だと聞いている。
・電機関連の資格を取得した。一般就労したい。A型事業所にとどまりたくない。現在は情報を集めているところ。孤立したくないので、名古屋の当事者会の情報も集めている。
・都会は事務の仕事が多い。ハローワークの担当者と顔見知りになるぐらいに通う。
・学生時代から生きるのが苦痛だった。大学を中退して工場勤務。当時から自分はおかしいと思っていた。人間関係が上手くいかない。同時に複数の仕事が処理できない。たまたま、病院の心理士さんに発達障害の指摘を受けて、障害が分かった。配慮としては、対人関係を減らしてほしい。一人で単純作業の繰り返しもキツイ。
・18年間工場勤務をしてきた。うつ病を発症して退社した。無職の期間を経て、自立支援センター、B型事業所、A型事業所と進んできた。工場勤務で人とコミュニケーションとるチャンスもなかった。飲み会もいかない。傾聴のボランティアをしている。障害をオープンにしてボランティアをしている。一般の人の障害者に対する見方が良くなって欲しいと思っている。ボランティアは精一杯頑張れる。仕事はどこまで頑張ればいいか分からない。A型は純粋に仕事をするだけでなく、コミュニケーション、会話もするので、周りがうるさく感じられて気になる。
 
 
・知り合いのツテで働ける場所を探したい。介護の仕事も興味がある。
・親と喧嘩すると、親が家を出たり、自分が家を出される準備をされる。
・一人暮らしを強要されるのはつらい。自立する収入や結婚するタイミングがないと親からの自立は難しい。
・障害に理解がある人向けのカップリングパーティがあった。
・ここ数年は一人ぐらをしている。収入は障害年金とA型事業所の収入だけだ。自分のことで精いっぱいだ。結婚は無理だなと思う。元気なうちは自分ひとりでなんとかなる。11000円でやりくりしている。身の丈に合わせた生活で、我慢がストレスになる。ボランティアで発散できる。
・給料は上がらないが、障害者としては高いので現状に満足している。10年の周回遅れと言われている。
・機能不全家族と言われる家族がいる。
・確かに、家族に原因のある精神疾患もあるという理論がある。
 
 
 
 
最後に
働ける障害者は多くない。その働ける人もぎりぎりの安い給料で不安定な身分で働いている。AB型事業所に通所して家族と同居している障害者も自立を考えて不安を抱え模索している。障害年金とA型事業所の収入で生活するのは生活保護レベルの厳しい生活だ。どの人も精一杯生きているのに、恵まれていない。だれでも障害や病気を抱える可能性がある。その生活がこれほど辛く困窮した生活ではいけないと思う。困窮者、障害者、引きこもりなどで連携して窮状を訴えるべきだと思う。
医者は症状を抑えるクスリを出すだけで生活は変えてくれない。福祉は低い生活レベルの固定化しかしない。企業は生産性を追い求め、障害者への視線は厳しい。どうしてこんな生きづらい社会なんだろう。

語る会からの成功エッセンス

後悔より笑って楽しく生きたい。

「清掃」

病院の清掃の仕事は毎日、仕事決まっているので、やりやすい。現在派遣で終末医療の病院で働く。1日約9時間(そのうち3時間は休憩)、週6.25日の清掃の仕事に就く。仕事は1年間やってきたこともあって慣れてきた。仕事仲間はMさんを除いて65歳以上の方が3人ほど。年上でもありその人たちから教わることも多く人間関係と仕事場の環境が落ち着いていることもあって特に目立った問題はない。しかし逆に年上であることや職場に同世代の人がいないなどなかなか気軽に話せる人がおらず、休憩時間は主に寝ていることが多い。横のつながり、居場所となるところが欲しい。現在は一人暮らしに向けて頑張っている。病院で清掃の仕事をしている。二年弱。これからも続けていきたい。仕事は単調で飽きるが乗り越えたい。いまの清掃の仕事は適職だと思う。掃除は気持ちがいい。だけど単調で飽きる。学生時代は建築設計の勉強をしていた。主治医に薦められて掃除の仕事を始めた。一生の仕事かどうか迷っている。もう少し単価が高い仕事をしたい。だが、マネジメントの仕事も出来る気がしない。今は、調子がいいことを大事にしたい。過去の病気は取り戻せない。子供の時はガキ大将的な性格だったが、病気をして丸く、優しい性格になった。障害や病気を受け入れて、うまくつきあうしかない。

 

「製造」

昨年1月入社。毎日仕事決まっている。同じことの繰り返しで自分は合っている。分からない事あれば上司に携帯で聞いてから判断している。本当は来てくれた方がうれしい。だが、今は仕事で上司から離れて自分一人でできるようになったことがうれしい。シール貼り、マークをつける、袋詰めを黙々とやる。仕事はあっている。充実している。現在は静かな工場勤務。人との関わりなく、静かな環境があっている。周りがうるさい環境が苦手だ。アスペルガー症候群。これまで、障害者枠の工員として袋詰めやシール貼といった簡単な作業を一人で黙々とやってきた。孤立しているが、望んでそうしてもらっている。これまでの職場では、仕事を覚えるよりも周りの人の評価や顔色が気になって仕事が続かなかった。ジョブコーチを通じて、人と関わらないでいい仕事の与え方をお願いしてきた。おかげで2年間仕事が続いている。自分では満足していた。しかし、今月初めに上司に呼び出されて「もっと仕事ができる人だと思うから、もう少し他人と関わる仕事もお願いします」といわれたので、驚いて固まってしまった。最初は、不安だったが、2年間の仕事を認められたうえでの判断だと思い、ステップアップになるならチャレンジしようという意識に変わった。このまま20年以上働きたいと思っている。身体障害者と同期入社だったのが、本当に良かった。その人は事故で障害を持ち、車いす生活になり、7年ぶりに職を得たという。ネガティブな弱音を吐かない。車いすでも他人に仕事を手伝ってもらうことは望んでいない。忘年会はその人と話せて、心が明るくなった。自分の生きづらさを理解してくれていた。20歳のころは周りの同年代がみんなすごく大人に思えて怖かった。40歳を超えた今になってようやく大人になれた気がする。発達障害は発達が遅れて幼く見えて年齢相応の振舞ができないが、遅くても発達し続けることが特徴だ。職場での人間関係も「逃げてちゃ変わらない」と今では思えるようになった。全員に好かれようとしては疲れてしまう。不安神経症的なところもあった。いい人でいようとする気持ちが強すぎたと思う。

 

 

「事務」

上司と良い関係が築けている。簡単な仕事をまわしてくれる。たとえば、印刷した新しい名刺の整理。書類の製本。上司には自分をかまって欲しい。孤立している気持ちが強い。一言会話するだけで楽になる。放置プレイは嫌だ。安心できる仲間がいて共有できた。成功体験を積み重ねていくと良いかな。恋愛の話もできた。みんな、仕事が辛いながらも楽しそう。嫌のことを考えすぎないで、楽しい事・笑顔でいられることを考えていければ良いと自分で思った。

 

 

「一人暮らし」

 現在1人暮らしで自炊している。大手企業で総務事務の仕事に就く。家賃が給料の約3分の1であることからなかなか生活が大変で、工夫を凝らして生活をしている。野菜を摂るように気を付けている。ゴミ出しの仕方やお金の管理など親と同居していたときには気づかなった生活力が、最近ようやく身についてきた。まだ、仕事から帰ると家事をする元気もなく、寝てしまう毎日だが、少しずつ料理や洗濯や掃除といった家事ができるようになっていきたいと考えている。休みの日はソフトボールをして体を鍛えている。親元を離れ生活をし始めたため、友人を自宅に招いて楽しんでいる。

 

「事務」

現在はハローワークの障害者枠で見つけた企業で主に事務の仕事をしている。今年の2月から始めた仕事であることからまだ気を張った状態でいる。会社側も初めて精神の障害を抱えた人を受け入れた。Eさんにどのような仕事を任せたらいいのか、お互いが模索中である。話し合いをしながら徐々にEさんができる仕事を増やしていこうとしている段階である。就職採用の時、Eさんを面談し採用した方が、今の上司であり、採用時からずっと同じ上司のもとで働いている。Eさんの事例は、上司が障害に対して理解ある方で、上司の影響で仕事場の人々も環境もEさんにとっては問題になることはなく、良い環境であると感じている。Eさんにとって現段階での問題は、自身は常にもっと仕事を任されたいという思いがあるが、上司は何を任せたら良いのか分からない状況で、「このままでいいよ」というお客様扱いの配慮が逆に怖く感じる。また企業は人事異動があるため、今の上司が異動した場合、仕事を継続して行けるかどうかが不安である。そのため仕事に必要な専門的な簿記などの知識や技術をつけようと考え始めている。

今年2月から土木関係の会社の名古屋支店で働き、事務で伝票入力を行っている。会社側も、Eさんに何をやってもおうか、迷っていそう。バイト時代に、パソコン入力が間違えずに正確にできることを身につけた。障がい者枠自体が名古屋支店では初めて。入社面接時は、今の上司が直接面接してくれたため、理解してくれている。いつか上司が変わるときのために、しっかりとスキルを身につけたい。

 

 

「大手衣料販売店」

6時間勤務で障碍者枠である。8時から3時まで。広い店内を走り回り体力が必要だった。バックルームで段ボールから服を出して展示する準備する仕事をしていた。そのうち、店長が変わり、バックルームから売り場へ商品を持っていく仕事も任された。売り場は、お客さまと接するのでプレッシャーが強い。身分は、障碍を開示した準社員である。障碍者は1店舗に1人だけである。店長によってやり方が変わる。障碍者の扱い方も違う。障碍者の情報が引き継ぎされていないようで不安だ。ほとんど健常者と同じ扱いである。体調が悪くて休む時に一番困る。

 

「事務」

障碍者枠で事務仕事をしている。掃除やシュレッダーなどの雑務も担当している。高校時代の友人に出産祝いを渡して話をしてきた。自分も結婚して子供がほしい。社会との接点がほしくて来ている。軽度の障害で安定してくれば、必要以上に気を使われるより健常者と同じように扱ってもらいたい気持ちもある。

質問:仕事をする上で工夫していることは?

チェックリストを作っている。やることリストを作り、表を作ってルーチンワークをしている。アンケートの「職場の人にどういうことに配慮してほしいか?」については不適応があると伝えている。その結果、毎日仕事を継続するという仕事の任され方をして、数年間つづけることができた。

3級の手帳を持ち障害者枠で働いている。学生時代に引きこもりを経験し、就職してからも不適応で、上司とコミュニケーションがとれなかった。まずはデイケアでコミュニケーション力と生活リズムを整えた。簡単な仕事から始めて今は事務職4年目。正社員登用試験を受ける。責任や給料を上げたい。スポーツが趣味。ようやく体調が本来に戻ってきた。エンジンをかけ直すのに時間がかかった。周りから支えられたおかげだ。PCは得意でワードエクセルは使いこなせる。新しい環境が苦手だが、ステップアップしたいので、東京へいって正社員になりたい。病院の主治医とも相談して、東京に行くべきか決めたい。正社員登用試験は難しいが、病気の再発の不安は感じていない。年齢が30歳代前半ならまだ、チャレンジできる。母もチャンスだと言ってくれている。名古屋で一人暮らしを1年ほどしてきて、生活力も身についた。同級生が海外で働いていることにも刺激を受けた。いろいろな仕事ができるようになりたい。効率よく働けるように「ルーティン表」というものを他の社員が作ってくれた。やるべきことが一覧表になっているのでチェックを打ちながら仕事をしている。

 

 

 

 

「製造」

仕事で早出して職場の整頓をして準備しているが、上司には全く評価されない。職場の何がどこにしまってあるかを覚えるが得意。また、どの材料がその部品に向くのかを覚えるのも比較的できる。

 

「短期記憶」

私の困っていることは、忘れっぽいことだ。発病してからより忘れっぽくなった。大したことじゃないと思って、メモしないでおくと、完全に忘れてしまう。仕事についても派遣元にはオープンで派遣先にはクローズにしているので、気を付けたい。

私も病気になって以前より能力が落ちた。記憶力や判断力などが、低下した。それでもできる仕事を探して社会と繋がりたい。短期の記憶が弱い人がメンタルの薬を飲んでいる人には多い、ワーキングメモリーの機能が落ちると聞いたこともある。それを補うために「メモを取る」ということを習慣づけている。発達障碍との比較もしてもらいたい。

 

回答:発達障害は生まれつきの障害です。精神障害者のワーキングメモリーが小さくなるのは、メジャートランキライザーなどの薬の副作用もあります。一般的には、統合失調症は、知的障害はありません。ちなみに知的障害と発達障害の違いは、知的障がいというのはまんべんなく能力が不足した障がいであるのに対し、発達障害はできる事とできない事の差が得しく、一部分だけ能力が未発達な障がいです。別の部分については非常に優秀な部分もあります。脳内のネットワークは使えば使うほど太くなる。後ろ向きに考えがち人は、プラスに考える努力や訓練を何回も何回も繰り返す事です。ネガティブな事件があってもネガティブにとらえるよりポジティブにとらえる努力や訓練が必要です。それから精神障害、発達障害の人はうまく伝える事ができない。うまく伝える様にトレーニングするべきです。そして向いている仕事より、やりたい仕事に就くことが一番いいです。

 

 

「障がいをオープンにした雇用継続」

1)身体障がい者と同時期から勤め始めると同期意識や配慮の面で有利。

2)支援機関やジョブコーチを使って自分のことを正確に伝える。仕事ができると伝えすぎても仕事が増えてしんどくなる。

3)声をかけて欲しい。ストレスなく働けるように配慮してほしい。

4)キツイ言い方はしない。社風が優しい感じだと居心地がいい。キツイ言い方ではへこんだり、逆上したりで伝わらない。

5)偏見を持たない。何とも思ってないにしても挨拶はしっかり返して欲しい。

6)障がいのある方は申し出てくださいは有効。障がいがあっても雇う気があることが分かって安心できる。

7)出世させない。正社員にはなりたいが、マネージャー、リーダー役は難しい。

 

「ジョブコーチ」

身体障害者と同時に入社したことが最大の配慮だった。同じ時期に障害者と入ったことで連帯感が生まれるし、周りの目も優しい。その身体障害者の人もすごくよく理解してくれる。今の職場では、ジョブコーチが必要なことを伝えてくれた。前回の職場でもジョブコーチは伝えていたと思うが、職場の上司は理解できていなかった。今は、一人作業に加えて、台車で運搬作業をして他のフロアに行くときにも、最初はリーダーが付き添いしてくれた。他のフロアできょろきょろしていると、私が、対人恐怖なのを分かっているので、「他の人は気にしなくていいから、自分の仕事をしてください」と言われて、自分の特性をよく分かっているなあと思った。

台車などを使って荷物を運ぶ仕事もする。「仕事が出来そう」と思われて逆に仕事が出来ないことが理解してもらえない。「アレやって」じゃ分からない。見本を見せてくださいとジョブコーチに言ってもらえた。ジョブコーチが良い人で大変お世話になった。障害者職業センターのジョブコーチだが、レベルが高い。最初の1年だけだ。長く働きたい。不満はない。5年働ければ、正社員になる道もある。症状は特にない。軽い発達障害だ。「アレやって」が一番困る。どこにあるかも分からない。「見れば分かるだろう」と言われるが曖昧な指示が苦手だ。自分は41歳からメーカー勤務を始めた。遅すぎることはない。

 

 

「スーパーマーケット」

心を病む人は性格的に優しい人が多い。そのため精神的に追い詰められる。自分の場合は、自分の仕事が順調な時は人一倍仕事をしたが、苦境に陥ったときのストレスで鬱になった。それは、躁と鬱のサイクルだと気づき、退職した。今はスーパーマーケットでパート社員として働いている。週に3日、一日5時間ぐらいで、体調がよくなった。今になって同年代のシャカリキに働いている人をみると「なんのために働いているか」と考える。生活を楽しむために働くのであって体を壊してまで働く意味はないと思う。会社にいると過剰に働かされる。健常者でも会社のいいなりに仕事していると体を壊す。

今の仕事について、収入以外は満足している。特に、パート社員とはいっても社会人経験が長く、若い学生にアドバイスしたり、主婦のパートへ仕事の割り振りを担当したりという仕事もできている。時給は低くても、学生や主婦と補い合って助け合っていることでモチベーションを高く維持している。昔のサラリーマン、特に銀行員は、滅私奉公のように遅くまで働いていた。今は、定時退社も当たり前になりつつある。障害者が非正規社員としてその分をカバーしているのかもしれない。仕事は毎日全力で働いてはいけない。常に7分の力を出していれば十分だ。サラリーマン時代に人より仕事が出来ると思ってどんどん増やしたが、それは、一種の躁状態だった。頑張りすぎてしまった。会社を退職して仕事が見つからない時期が数年あり、どん底の気分だった。今は仕事があり、賃金以上に満足している。全国展開しているスーパーは資本がしっかりしており、障害者にとって働きやすい環境だ。周りにも勧めている。多種多様な仕事があり、適材適所が行われている。また、慢性的に人手不足で就職しやすい。スーパーの仕事は自宅に近いというだけで雇われやすかったし、働きやすい。就労継続支援A型で働くことも考えたが、仕事へのモチベーションを考えると障害者枠で、一般企業での就職を選んだ。

 

「オープンダイアローグ」

私も興味があり、自分で調べた範囲でいうと、メンタルな病気の対処法や診断を患者・家族・看護師・医師が同じ部屋の中で本人を目の前にして話しあうスタイルの療法だ。北欧のラップ地方で行われて、治癒率が高く大変注目されている。別室で医師が勝手に診療方針を決める日本では、まだ知られていない療法だ。

オープンダイアローグに近い方法で私も回復してきた。非常にいい方法だと思う。服薬もしないようになった。5年ほど前まで引きこもりが酷かったが、現在は毎日楽しい。食事療法も自分なりに行っている。

 

「パン作り」

自信を取り戻すのが一番大事だと思う。今、B型作業所だが、ひきこもりよりはずっとよくなった。週2日から始めて、今は週4日だ。行くのが楽しい。自分がステップアップできている気持ちがして、自己肯定感もできた。パンを作っている。パンイーストで育っていくパンが好きだ。それが売れるのがうれしい。

 

「販売」

靴屋さんのバックヤードで在庫管理の仕事をしている。荷物の仕分けなどだ。週5日の一日6時間。障害者職業センターを3ヶ月使って、実習面接筆記試験を経て今の仕事に就いた。30代後半。デイケアを週1で利用している。今は、靴屋さんで働き、職場に理解があって、優しい。女性社員もちゃんと話しかけてくれる。配慮もされている。お客さんの前には行かずに、バックヤードで在庫整理や空き箱つぶしをしている。

 

「製造」

40歳代前半、元々人としゃべれないで泣いてばかりいる子供だった。対人恐怖が強い。20代で正社員からはずれて、50社以上就活しても決まらず、30歳付近でフリーターになった。ニートの時もあった。精神科で欝の薬をもらうこともあった。その後、発達障害・アスペルガー症候群と診断されて障害者職業センターを利用した。ジョブコーチもついてもらって障害者枠の工場で仕事に恵まれている。居心地もいいし、辞めたくない。時間がすぎるのが早く感じる。少人数の静かな職場の中で一人でできる仕事で、一番合っている。

 

 

「昇給」

給料が上がった。900円から時給950円になった。次は1000円を目指したい。仕事はやることがなくて暇な時もある。ノルマがないので助かっている。

B:自分はオープンで働いている。配慮はあるのはうれしいが、成長がないようで寂しい。正社員にはなれないし、ボーナスもない。3ヶ月ごとの更新だ。昇給もない。孤立している。気楽だが、普段は誰も話しかけてくれない。

 

 

「物流」

ヘルニアで腰を痛めた。大学もあわなくて、退学した。読み書きが得意ではない。事務は不得手で、肉体労働が向いていると思う。腰に負荷がかかるのはしょうがないと思って物流系で働き始めた。腰や障害に配慮されてパソコン入力の仕事も任されている。今の職場は、人間関係がいい。知的障害障害者が多い。純粋な人でいやされる。裏表がなくてメンタルがタフに見える。知的障害の人は余計なことを考えないが、自分は考えてしまう。障害者雇用の場として恵まれている。健常者はもちろん多いが、なにかを抱えている人が多いようだ。知的障害者、既婚女性が多い職場で、部署によって割合は違うが3割程度まで障害者であることもある。グループリーダーにもなっている。軽い知的障害者が養護学校を卒業して入社している。

 

「コンピューター」

コンピューター関係の仕事は技術があれば働ける。人間関係は出来なくてもOK。アスペルガー系な人が多い、会社ごとにできる、できないがある。以前の会社では、20人中4名ぐらいアスペルガーだった。ゲーム オタクでADHDの人が多い。

ADHDは、人付き合いが上手い人もいる。発達の凸凹なので、人と接するの上手い人もいる。テレビで「ハートをつなごう」とか「バリバラ」とかでよくしゃべる元気な発達障害の方がでているが、大部分の人はそうではない。孤立して無理して生きている。PCの仕事は、給料もいい。一人暮らしも出来ている。運用、開発、構築、保守などの仕事やゲームから官公庁関連まで幅広い。30歳ちょっと前にコンピューター業界に入った。現在キャリアは10年以上ある。「生きるために働く」より「働くために生きる」になっているのは、良くないね、と言われた。自分は今、働くために生きている、感じがする。勤めながら、キャリアを考えたい。「気楽に生きたい」のだが、それが難しい。

 

「生活指導員」

わたしは独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構の「障害者職業生活指導員」の免状を受けた。https://www.jeed.or.jp/disability/employer/employer04.html

私は、職業相談員をしていた。そのとき、障害者で一般就労とA,B型就労継続事業所に通う人の大きな違いは、「生活のリズム」だと気づいた。朝起きて外にでられるかどうか、が一番の分かれ目だ。

 

「CAD」

一番役にたった訓練はなにか? 

Z:ハローワークのやっている一般の失業者向けの訓練「基金訓練」と呼ばれていたもので、CADを再度習ったのが良かった。もともとCADをやったことはあったが、最新の知識を得て、就職に結びついた。わたしは48歳で就職が決まった。CADの技術があれば、年齢に関係なく就職できる可能性がある。おすすめしたい。MOS(マイクソフトオフィススペシャリスト)の資格を取るのを勧めたい。自信につながる。

現場で地道に長く働く障害者にももっと高給の仕事があればいいと思います。

 

「介護」

・パートで介護職をやっている、一人でいる方が落ち着く。もともと不登校だった。自分では一生懸命やっているのに、だらけているように見られてしまう。障害はオープンにして、仕事も覚えるのにメモも取って努力している。おとなしい性格。他の人はみんなてきぱきとスピーディーに動いている。おむつ交換などをしていても自分にはてきぱきとするが難しいと感じてしまう。パートだが、雇用保険や健康保険には加入している。すぐに自分には働くなんて無理じゃないのかと思ってしまう。

 

「製造」

仕事は製造系の仕事を長くしてきたが、ルーティンの仕事は自分には難しいし、時間がかかる。15社を渡り歩いた。飛行機の翼の部分の開発・製造の仕事が印象に残っている。金属の研磨の仕事をしていた。専門的な仕事だった。メモ帳を用意して仕事を教えてもらうとメモ書きして、自宅で清書してきた。「頭で覚えるよりノートに書け」というアドバイスをもらったからだ。ノートにはやり方だけでなく、失敗しやすいところも書いた。ある日、上司に呼ばれて「君のノートは素晴らしいから、ぜひ本社の作業手順書として採用したい。これからもノートをしっかり続けて欲しい。」と褒められた。自分としては、当たり前のことで特別なことではないと思っていたが、分かりやすく100ページほど書いて、ほかの社員がノートを見に来るようになった。当時は残業も土曜日勤務もして月収が40万円近くあった。結婚もしていた。

 

「40歳代」

20-30歳代は働けなかった。40歳になってやっと仕事できるようになった。30歳代までは月に1万数千円のお小遣いを親にもらって家で煙草を吸っていただけだった。40歳で初めて作業所へ入って、その後一般就労できた。大学は土木を勉強したが、卒業を前にして就職活動や将来のことを考えすぎて発症した。卒業はしたが土木関係の仕事には就けなかった。現場はガラが悪そうに思えた。掃除の仕事を30歳代後半に医者が勧めてくれて、清掃職に就いた。一生の仕事にしたい。学生時代は一人暮らしで敵が多かった。ライバルをはねのけて自分のことしか考えないタイプが多く殺伐としていた。

 

 

「入院」

M:大病院の院長は大統領で、看護師は警察官のようだ。患者でも労働組合のような組織があって、その長だけが院長に「直訴」できる。

B:精神科は怖いというイメージがある。入ったらおしまい。

S:入院するとお菓子が貨幣のようになった。

M:煙草が貨幣で麻雀で煙草が動いた。

 

 

「クローズで勤務」

週3日働いている。双極性障害だがクローズで働いている。以前A型事業所で働いているときは気持ちを分かってくれる人がいたが、クローズで働くと言えないし分かってくれる人がほしくて自助会に参加した。週3回の一日7.5時間の勤務をしている。仕事はややこしいが人間関係は優しくてありがたい週3連勤だとキツイ。障害と言ってない。体力がない。春はいいが冬は仕事以外には外に出られない。家で伏せっている。疲れがとれない。自分をほめてあげて!と言われる。学生時代から不登校だった。民間療法や抗うつ剤などいろいろ試した。だいぶ楽になった。

質問:体力がないのはクスリが強すぎるせいではないか?クスリは病気や体を抑え込む傾向があるで疲れやすくなる。自分もクスリを飲み忘れると身体が軽くなる。クスリのせいで仕事中も眠くなったりもする。

回答:確かに眠くなったり口の乾きがある。体も重たい。

人間関係はいいが配慮はない。3連勤も春なら大丈夫。冬は鬱になる。調子がいいと週5で働きたいと思う。しかし気力が落ちてくると配慮がほしくなる。季節性の鬱だ。双極性障害で手帳を取れると知った。手帳を取った当初は障害者枠もA型事業所も知らなかった。地域活動センターへ週3日通った。A型事業所では内職をやっていた。プラスチックを切ったり加工したり箱詰めしていた。雇用者がころころと言うことが変わった。A型は「今日、調子が悪い」と簡単にいえるのが良かった。「雨だから調子悪い」とかもいえた。

転職は2ヶ月ぐらいかかった。ハローワークで探したりもしたが最後は新聞広告で決めた。障害者枠とクローズで両方探したが、障害者枠は週5が多くて週3,4日の仕事はなかった。週30時間働かないといけないという制約がある。障害者枠の仕事も何社か落ちた。それでクローズで探して週20時間を選んだ。クローズで困ることもあったが、いまは3ヶ月ぐらい続いている。

 

 

「先輩から」

もっと失敗したほうがいいんじゃないか。思い切って失敗したほうがいい。今は準備期間だと考えてどうすればいいか悩むより失敗しても挨拶から始めればいい。恋愛経験と同じで断られて失敗したほうがなにもせずに終わるよりいい。

 

「翻訳」

大学を卒業して6年間民間で勤めた後、公務員になった。そこでいじめられて鬱になった。公務員をすぐにやめてニュージーランドへ渡った。仕事に悩んでいじめられて対人関係に悩み、自己否定する鬱になった。今は恵まれた職場にいる。28才で公務員に転職したが、死ぬと思った。法律の知識がなくて困った。新卒で入った民間は良かった。公務員は指導役が年下で弁護士の勉強をしていたそうで法律に詳しかった。バカかって言われた。公務員になってからのほうが忙しかった。法律知識がなくて「なんでおまえみたいな奴が受かったか?」と言われた。もともと民間でも周りのサポートがあってやってこられた。9ヶ月で公務員を退職してワーキングホリデーでNZに渡った。今の会社は9年目。技術翻訳の仕事で得意を仕事にできた。辛いときもあるが向いていると思っている。自分のペースでできる。PCのプログラミング言語も特に要求されない。一昨年、鬱が再発して一人住まいだったが、なんとか病院にたどり着いた。町内会で順番に組長が回ってきた。昔から長が苦手だった。姉が名古屋にいるが、電話で助けを求めても助けてくれなかった。飼っていた犬に助けられた。極度の不眠になって辛い時期があった。死にたいと思っていた。鬱病であることを最初は隠していたが同僚に話したら、派遣面談で会社側にばれていることを知った。それでも首にはならなかった。契約更新もできるし実際には無期雇用に近い。