語る会は、参加費400円をいただいております。
25年度からの内容は、「語る会」にまとめてあります。
2017~2018
後悔より笑って楽しく生きたい。
「清掃」
病院の清掃の仕事は毎日、仕事決まっているので、やりやすい。現在派遣で終末医療の病院で働く。1日約9時間(そのうち3時間は休憩)、週6.25日の清掃の仕事に就く。仕事は1年間やってきたこともあって慣れてきた。仕事仲間はMさんを除いて65歳以上の方が3人ほど。年上でもありその人たちから教わることも多く人間関係と仕事場の環境が落ち着いていることもあって特に目立った問題はない。しかし逆に年上であることや職場に同世代の人がいないなどなかなか気軽に話せる人がおらず、休憩時間は主に寝ていることが多い。横のつながり、居場所となるところが欲しい。現在は一人暮らしに向けて頑張っている。病院で清掃の仕事をしている。二年弱。これからも続けていきたい。仕事は単調で飽きるが乗り越えたい。いまの清掃の仕事は適職だと思う。掃除は気持ちがいい。だけど単調で飽きる。学生時代は建築設計の勉強をしていた。主治医に薦められて掃除の仕事を始めた。一生の仕事かどうか迷っている。もう少し単価が高い仕事をしたい。だが、マネジメントの仕事も出来る気がしない。今は、調子がいいことを大事にしたい。過去の病気は取り戻せない。子供の時はガキ大将的な性格だったが、病気をして丸く、優しい性格になった。障害や病気を受け入れて、うまくつきあうしかない。
「製造」
昨年1月入社。毎日仕事決まっている。同じことの繰り返しで自分は合っている。分からない事あれば上司に携帯で聞いてから判断している。本当は来てくれた方がうれしい。だが、今は仕事で上司から離れて自分一人でできるようになったことがうれしい。シール貼り、マークをつける、袋詰めを黙々とやる。仕事はあっている。充実している。現在は静かな工場勤務。人との関わりなく、静かな環境があっている。周りがうるさい環境が苦手だ。アスペルガー症候群。これまで、障害者枠の工員として袋詰めやシール貼といった簡単な作業を一人で黙々とやってきた。孤立しているが、望んでそうしてもらっている。これまでの職場では、仕事を覚えるよりも周りの人の評価や顔色が気になって仕事が続かなかった。ジョブコーチを通じて、人と関わらないでいい仕事の与え方をお願いしてきた。おかげで2年間仕事が続いている。自分では満足していた。しかし、今月初めに上司に呼び出されて「もっと仕事ができる人だと思うから、もう少し他人と関わる仕事もお願いします」といわれたので、驚いて固まってしまった。最初は、不安だったが、2年間の仕事を認められたうえでの判断だと思い、ステップアップになるならチャレンジしようという意識に変わった。このまま20年以上働きたいと思っている。身体障害者と同期入社だったのが、本当に良かった。その人は事故で障害を持ち、車いす生活になり、7年ぶりに職を得たという。ネガティブな弱音を吐かない。車いすでも他人に仕事を手伝ってもらうことは望んでいない。忘年会はその人と話せて、心が明るくなった。自分の生きづらさを理解してくれていた。20歳のころは周りの同年代がみんなすごく大人に思えて怖かった。40歳を超えた今になってようやく大人になれた気がする。発達障害は発達が遅れて幼く見えて年齢相応の振舞ができないが、遅くても発達し続けることが特徴だ。職場での人間関係も「逃げてちゃ変わらない」と今では思えるようになった。全員に好かれようとしては疲れてしまう。不安神経症的なところもあった。いい人でいようとする気持ちが強すぎたと思う。
「事務」
上司と良い関係が築けている。簡単な仕事をまわしてくれる。たとえば、印刷した新しい名刺の整理。書類の製本。上司には自分をかまって欲しい。孤立している気持ちが強い。一言会話するだけで楽になる。放置プレイは嫌だ。安心できる仲間がいて共有できた。成功体験を積み重ねていくと良いかな。恋愛の話もできた。みんな、仕事が辛いながらも楽しそう。嫌のことを考えすぎないで、楽しい事・笑顔でいられることを考えていければ良いと自分で思った。
「一人暮らし」
現在1人暮らしで自炊している。大手企業で総務事務の仕事に就く。家賃が給料の約3分の1であることからなかなか生活が大変で、工夫を凝らして生活をしている。野菜を摂るように気を付けている。ゴミ出しの仕方やお金の管理など親と同居していたときには気づかなった生活力が、最近ようやく身についてきた。まだ、仕事から帰ると家事をする元気もなく、寝てしまう毎日だが、少しずつ料理や洗濯や掃除といった家事ができるようになっていきたいと考えている。休みの日はソフトボールをして体を鍛えている。親元を離れ生活をし始めたため、友人を自宅に招いて楽しんでいる。
「事務」
現在はハローワークの障害者枠で見つけた企業で主に事務の仕事をしている。今年の2月から始めた仕事であることからまだ気を張った状態でいる。会社側も初めて精神の障害を抱えた人を受け入れた。Eさんにどのような仕事を任せたらいいのか、お互いが模索中である。話し合いをしながら徐々にEさんができる仕事を増やしていこうとしている段階である。就職採用の時、Eさんを面談し採用した方が、今の上司であり、採用時からずっと同じ上司のもとで働いている。Eさんの事例は、上司が障害に対して理解ある方で、上司の影響で仕事場の人々も環境もEさんにとっては問題になることはなく、良い環境であると感じている。Eさんにとって現段階での問題は、自身は常にもっと仕事を任されたいという思いがあるが、上司は何を任せたら良いのか分からない状況で、「このままでいいよ」というお客様扱いの配慮が逆に怖く感じる。また企業は人事異動があるため、今の上司が異動した場合、仕事を継続して行けるかどうかが不安である。そのため仕事に必要な専門的な簿記などの知識や技術をつけようと考え始めている。
今年2月から土木関係の会社の名古屋支店で働き、事務で伝票入力を行っている。会社側も、Eさんに何をやってもおうか、迷っていそう。バイト時代に、パソコン入力が間違えずに正確にできることを身につけた。障がい者枠自体が名古屋支店では初めて。入社面接時は、今の上司が直接面接してくれたため、理解してくれている。いつか上司が変わるときのために、しっかりとスキルを身につけたい。
「大手衣料販売店」
6時間勤務で障碍者枠である。8時から3時まで。広い店内を走り回り体力が必要だった。バックルームで段ボールから服を出して展示する準備する仕事をしていた。そのうち、店長が変わり、バックルームから売り場へ商品を持っていく仕事も任された。売り場は、お客さまと接するのでプレッシャーが強い。身分は、障碍を開示した準社員である。障碍者は1店舗に1人だけである。店長によってやり方が変わる。障碍者の扱い方も違う。障碍者の情報が引き継ぎされていないようで不安だ。ほとんど健常者と同じ扱いである。体調が悪くて休む時に一番困る。
「事務」
障碍者枠で事務仕事をしている。掃除やシュレッダーなどの雑務も担当している。高校時代の友人に出産祝いを渡して話をしてきた。自分も結婚して子供がほしい。社会との接点がほしくて来ている。軽度の障害で安定してくれば、必要以上に気を使われるより健常者と同じように扱ってもらいたい気持ちもある。
質問:仕事をする上で工夫していることは?
チェックリストを作っている。やることリストを作り、表を作ってルーチンワークをしている。アンケートの「職場の人にどういうことに配慮してほしいか?」については不適応があると伝えている。その結果、毎日仕事を継続するという仕事の任され方をして、数年間つづけることができた。
3級の手帳を持ち障害者枠で働いている。学生時代に引きこもりを経験し、就職してからも不適応で、上司とコミュニケーションがとれなかった。まずはデイケアでコミュニケーション力と生活リズムを整えた。簡単な仕事から始めて今は事務職4年目。正社員登用試験を受ける。責任や給料を上げたい。スポーツが趣味。ようやく体調が本来に戻ってきた。エンジンをかけ直すのに時間がかかった。周りから支えられたおかげだ。PCは得意でワードエクセルは使いこなせる。新しい環境が苦手だが、ステップアップしたいので、東京へいって正社員になりたい。病院の主治医とも相談して、東京に行くべきか決めたい。正社員登用試験は難しいが、病気の再発の不安は感じていない。年齢が30歳代前半ならまだ、チャレンジできる。母もチャンスだと言ってくれている。名古屋で一人暮らしを1年ほどしてきて、生活力も身についた。同級生が海外で働いていることにも刺激を受けた。いろいろな仕事ができるようになりたい。効率よく働けるように「ルーティン表」というものを他の社員が作ってくれた。やるべきことが一覧表になっているのでチェックを打ちながら仕事をしている。
「製造」
仕事で早出して職場の整頓をして準備しているが、上司には全く評価されない。職場の何がどこにしまってあるかを覚えるが得意。また、どの材料がその部品に向くのかを覚えるのも比較的できる。
「短期記憶」
私の困っていることは、忘れっぽいことだ。発病してからより忘れっぽくなった。大したことじゃないと思って、メモしないでおくと、完全に忘れてしまう。仕事についても派遣元にはオープンで派遣先にはクローズにしているので、気を付けたい。
私も病気になって以前より能力が落ちた。記憶力や判断力などが、低下した。それでもできる仕事を探して社会と繋がりたい。短期の記憶が弱い人がメンタルの薬を飲んでいる人には多い、ワーキングメモリーの機能が落ちると聞いたこともある。それを補うために「メモを取る」ということを習慣づけている。発達障碍との比較もしてもらいたい。
回答:発達障害は生まれつきの障害です。精神障害者のワーキングメモリーが小さくなるのは、メジャートランキライザーなどの薬の副作用もあります。一般的には、統合失調症は、知的障害はありません。ちなみに知的障害と発達障害の違いは、知的障がいというのはまんべんなく能力が不足した障がいであるのに対し、発達障害はできる事とできない事の差が得しく、一部分だけ能力が未発達な障がいです。別の部分については非常に優秀な部分もあります。脳内のネットワークは使えば使うほど太くなる。後ろ向きに考えがち人は、プラスに考える努力や訓練を何回も何回も繰り返す事です。ネガティブな事件があってもネガティブにとらえるよりポジティブにとらえる努力や訓練が必要です。それから精神障害、発達障害の人はうまく伝える事ができない。うまく伝える様にトレーニングするべきです。そして向いている仕事より、やりたい仕事に就くことが一番いいです。
「障がいをオープンにした雇用継続」
1)身体障がい者と同時期から勤め始めると同期意識や配慮の面で有利。
2)支援機関やジョブコーチを使って自分のことを正確に伝える。仕事ができると伝えすぎても仕事が増えてしんどくなる。
3)声をかけて欲しい。ストレスなく働けるように配慮してほしい。
4)キツイ言い方はしない。社風が優しい感じだと居心地がいい。キツイ言い方ではへこんだり、逆上したりで伝わらない。
5)偏見を持たない。何とも思ってないにしても挨拶はしっかり返して欲しい。
6)障がいのある方は申し出てくださいは有効。障がいがあっても雇う気があることが分かって安心できる。
7)出世させない。正社員にはなりたいが、マネージャー、リーダー役は難しい。
「ジョブコーチ」
身体障害者と同時に入社したことが最大の配慮だった。同じ時期に障害者と入ったことで連帯感が生まれるし、周りの目も優しい。その身体障害者の人もすごくよく理解してくれる。今の職場では、ジョブコーチが必要なことを伝えてくれた。前回の職場でもジョブコーチは伝えていたと思うが、職場の上司は理解できていなかった。今は、一人作業に加えて、台車で運搬作業をして他のフロアに行くときにも、最初はリーダーが付き添いしてくれた。他のフロアできょろきょろしていると、私が、対人恐怖なのを分かっているので、「他の人は気にしなくていいから、自分の仕事をしてください」と言われて、自分の特性をよく分かっているなあと思った。
台車などを使って荷物を運ぶ仕事もする。「仕事が出来そう」と思われて逆に仕事が出来ないことが理解してもらえない。「アレやって」じゃ分からない。見本を見せてくださいとジョブコーチに言ってもらえた。ジョブコーチが良い人で大変お世話になった。障害者職業センターのジョブコーチだが、レベルが高い。最初の1年だけだ。長く働きたい。不満はない。5年働ければ、正社員になる道もある。症状は特にない。軽い発達障害だ。「アレやって」が一番困る。どこにあるかも分からない。「見れば分かるだろう」と言われるが曖昧な指示が苦手だ。自分は41歳からメーカー勤務を始めた。遅すぎることはない。
「スーパーマーケット」
心を病む人は性格的に優しい人が多い。そのため精神的に追い詰められる。自分の場合は、自分の仕事が順調な時は人一倍仕事をしたが、苦境に陥ったときのストレスで鬱になった。それは、躁と鬱のサイクルだと気づき、退職した。今はスーパーマーケットでパート社員として働いている。週に3日、一日5時間ぐらいで、体調がよくなった。今になって同年代のシャカリキに働いている人をみると「なんのために働いているか」と考える。生活を楽しむために働くのであって体を壊してまで働く意味はないと思う。会社にいると過剰に働かされる。健常者でも会社のいいなりに仕事していると体を壊す。
今の仕事について、収入以外は満足している。特に、パート社員とはいっても社会人経験が長く、若い学生にアドバイスしたり、主婦のパートへ仕事の割り振りを担当したりという仕事もできている。時給は低くても、学生や主婦と補い合って助け合っていることでモチベーションを高く維持している。昔のサラリーマン、特に銀行員は、滅私奉公のように遅くまで働いていた。今は、定時退社も当たり前になりつつある。障害者が非正規社員としてその分をカバーしているのかもしれない。仕事は毎日全力で働いてはいけない。常に7分の力を出していれば十分だ。サラリーマン時代に人より仕事が出来ると思ってどんどん増やしたが、それは、一種の躁状態だった。頑張りすぎてしまった。会社を退職して仕事が見つからない時期が数年あり、どん底の気分だった。今は仕事があり、賃金以上に満足している。全国展開しているスーパーは資本がしっかりしており、障害者にとって働きやすい環境だ。周りにも勧めている。多種多様な仕事があり、適材適所が行われている。また、慢性的に人手不足で就職しやすい。スーパーの仕事は自宅に近いというだけで雇われやすかったし、働きやすい。就労継続支援A型で働くことも考えたが、仕事へのモチベーションを考えると障害者枠で、一般企業での就職を選んだ。
「オープンダイアローグ」
私も興味があり、自分で調べた範囲でいうと、メンタルな病気の対処法や診断を患者・家族・看護師・医師が同じ部屋の中で本人を目の前にして話しあうスタイルの療法だ。北欧のラップ地方で行われて、治癒率が高く大変注目されている。別室で医師が勝手に診療方針を決める日本では、まだ知られていない療法だ。
オープンダイアローグに近い方法で私も回復してきた。非常にいい方法だと思う。服薬もしないようになった。5年ほど前まで引きこもりが酷かったが、現在は毎日楽しい。食事療法も自分なりに行っている。
「パン作り」
自信を取り戻すのが一番大事だと思う。今、B型作業所だが、ひきこもりよりはずっとよくなった。週2日から始めて、今は週4日だ。行くのが楽しい。自分がステップアップできている気持ちがして、自己肯定感もできた。パンを作っている。パンイーストで育っていくパンが好きだ。それが売れるのがうれしい。
「販売」
靴屋さんのバックヤードで在庫管理の仕事をしている。荷物の仕分けなどだ。週5日の一日6時間。障害者職業センターを3ヶ月使って、実習面接筆記試験を経て今の仕事に就いた。30代後半。デイケアを週1で利用している。今は、靴屋さんで働き、職場に理解があって、優しい。女性社員もちゃんと話しかけてくれる。配慮もされている。お客さんの前には行かずに、バックヤードで在庫整理や空き箱つぶしをしている。
「製造」
40歳代前半、元々人としゃべれないで泣いてばかりいる子供だった。対人恐怖が強い。20代で正社員からはずれて、50社以上就活しても決まらず、30歳付近でフリーターになった。ニートの時もあった。精神科で欝の薬をもらうこともあった。その後、発達障害・アスペルガー症候群と診断されて障害者職業センターを利用した。ジョブコーチもついてもらって障害者枠の工場で仕事に恵まれている。居心地もいいし、辞めたくない。時間がすぎるのが早く感じる。少人数の静かな職場の中で一人でできる仕事で、一番合っている。
「昇給」
給料が上がった。900円から時給950円になった。次は1000円を目指したい。仕事はやることがなくて暇な時もある。ノルマがないので助かっている。
B:自分はオープンで働いている。配慮はあるのはうれしいが、成長がないようで寂しい。正社員にはなれないし、ボーナスもない。3ヶ月ごとの更新だ。昇給もない。孤立している。気楽だが、普段は誰も話しかけてくれない。
「物流」
ヘルニアで腰を痛めた。大学もあわなくて、退学した。読み書きが得意ではない。事務は不得手で、肉体労働が向いていると思う。腰に負荷がかかるのはしょうがないと思って物流系で働き始めた。腰や障害に配慮されてパソコン入力の仕事も任されている。今の職場は、人間関係がいい。知的障害障害者が多い。純粋な人でいやされる。裏表がなくてメンタルがタフに見える。知的障害の人は余計なことを考えないが、自分は考えてしまう。障害者雇用の場として恵まれている。健常者はもちろん多いが、なにかを抱えている人が多いようだ。知的障害者、既婚女性が多い職場で、部署によって割合は違うが3割程度まで障害者であることもある。グループリーダーにもなっている。軽い知的障害者が養護学校を卒業して入社している。
「コンピューター」
コンピューター関係の仕事は技術があれば働ける。人間関係は出来なくてもOK。アスペルガー系な人が多い、会社ごとにできる、できないがある。以前の会社では、20人中4名ぐらいアスペルガーだった。ゲーム オタクでADHDの人が多い。
ADHDは、人付き合いが上手い人もいる。発達の凸凹なので、人と接するの上手い人もいる。テレビで「ハートをつなごう」とか「バリバラ」とかでよくしゃべる元気な発達障害の方がでているが、大部分の人はそうではない。孤立して無理して生きている。PCの仕事は、給料もいい。一人暮らしも出来ている。運用、開発、構築、保守などの仕事やゲームから官公庁関連まで幅広い。30歳ちょっと前にコンピューター業界に入った。現在キャリアは10年以上ある。「生きるために働く」より「働くために生きる」になっているのは、良くないね、と言われた。自分は今、働くために生きている、感じがする。勤めながら、キャリアを考えたい。「気楽に生きたい」のだが、それが難しい。
「生活指導員」
わたしは独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構の「障害者職業生活指導員」の免状を受けた。https://www.jeed.or.jp/disability/employer/employer04.html
私は、職業相談員をしていた。そのとき、障害者で一般就労とA,B型就労継続事業所に通う人の大きな違いは、「生活のリズム」だと気づいた。朝起きて外にでられるかどうか、が一番の分かれ目だ。
「CAD」
一番役にたった訓練はなにか?
Z:ハローワークのやっている一般の失業者向けの訓練「基金訓練」と呼ばれていたもので、CADを再度習ったのが良かった。もともとCADをやったことはあったが、最新の知識を得て、就職に結びついた。わたしは48歳で就職が決まった。CADの技術があれば、年齢に関係なく就職できる可能性がある。おすすめしたい。MOS(マイクソフトオフィススペシャリスト)の資格を取るのを勧めたい。自信につながる。
現場で地道に長く働く障害者にももっと高給の仕事があればいいと思います。
「介護」
・パートで介護職をやっている、一人でいる方が落ち着く。もともと不登校だった。自分では一生懸命やっているのに、だらけているように見られてしまう。障害はオープンにして、仕事も覚えるのにメモも取って努力している。おとなしい性格。他の人はみんなてきぱきとスピーディーに動いている。おむつ交換などをしていても自分にはてきぱきとするが難しいと感じてしまう。パートだが、雇用保険や健康保険には加入している。すぐに自分には働くなんて無理じゃないのかと思ってしまう。
「製造」
仕事は製造系の仕事を長くしてきたが、ルーティンの仕事は自分には難しいし、時間がかかる。15社を渡り歩いた。飛行機の翼の部分の開発・製造の仕事が印象に残っている。金属の研磨の仕事をしていた。専門的な仕事だった。メモ帳を用意して仕事を教えてもらうとメモ書きして、自宅で清書してきた。「頭で覚えるよりノートに書け」というアドバイスをもらったからだ。ノートにはやり方だけでなく、失敗しやすいところも書いた。ある日、上司に呼ばれて「君のノートは素晴らしいから、ぜひ本社の作業手順書として採用したい。これからもノートをしっかり続けて欲しい。」と褒められた。自分としては、当たり前のことで特別なことではないと思っていたが、分かりやすく100ページほど書いて、ほかの社員がノートを見に来るようになった。当時は残業も土曜日勤務もして月収が40万円近くあった。結婚もしていた。
「40歳代」
20-30歳代は働けなかった。40歳になってやっと仕事できるようになった。30歳代までは月に1万数千円のお小遣いを親にもらって家で煙草を吸っていただけだった。40歳で初めて作業所へ入って、その後一般就労できた。大学は土木を勉強したが、卒業を前にして就職活動や将来のことを考えすぎて発症した。卒業はしたが土木関係の仕事には就けなかった。現場はガラが悪そうに思えた。掃除の仕事を30歳代後半に医者が勧めてくれて、清掃職に就いた。一生の仕事にしたい。学生時代は一人暮らしで敵が多かった。ライバルをはねのけて自分のことしか考えないタイプが多く殺伐としていた。
「入院」
M:大病院の院長は大統領で、看護師は警察官のようだ。患者でも労働組合のような組織があって、その長だけが院長に「直訴」できる。
B:精神科は怖いというイメージがある。入ったらおしまい。
S:入院するとお菓子が貨幣のようになった。
M:煙草が貨幣で麻雀で煙草が動いた。
「クローズで勤務」
週3日働いている。双極性障害だがクローズで働いている。以前A型事業所で働いているときは気持ちを分かってくれる人がいたが、クローズで働くと言えないし分かってくれる人がほしくて自助会に参加した。週3回の一日7.5時間の勤務をしている。仕事はややこしいが人間関係は優しくてありがたい週3連勤だとキツイ。障害と言ってない。体力がない。春はいいが冬は仕事以外には外に出られない。家で伏せっている。疲れがとれない。自分をほめてあげて!と言われる。学生時代から不登校だった。民間療法や抗うつ剤などいろいろ試した。だいぶ楽になった。
質問:体力がないのはクスリが強すぎるせいではないか?クスリは病気や体を抑え込む傾向があるで疲れやすくなる。自分もクスリを飲み忘れると身体が軽くなる。クスリのせいで仕事中も眠くなったりもする。
回答:確かに眠くなったり口の乾きがある。体も重たい。
人間関係はいいが配慮はない。3連勤も春なら大丈夫。冬は鬱になる。調子がいいと週5で働きたいと思う。しかし気力が落ちてくると配慮がほしくなる。季節性の鬱だ。双極性障害で手帳を取れると知った。手帳を取った当初は障害者枠もA型事業所も知らなかった。地域活動センターへ週3日通った。A型事業所では内職をやっていた。プラスチックを切ったり加工したり箱詰めしていた。雇用者がころころと言うことが変わった。A型は「今日、調子が悪い」と簡単にいえるのが良かった。「雨だから調子悪い」とかもいえた。
転職は2ヶ月ぐらいかかった。ハローワークで探したりもしたが最後は新聞広告で決めた。障害者枠とクローズで両方探したが、障害者枠は週5が多くて週3,4日の仕事はなかった。週30時間働かないといけないという制約がある。障害者枠の仕事も何社か落ちた。それでクローズで探して週20時間を選んだ。クローズで困ることもあったが、いまは3ヶ月ぐらい続いている。
「先輩から」
もっと失敗したほうがいいんじゃないか。思い切って失敗したほうがいい。今は準備期間だと考えてどうすればいいか悩むより失敗しても挨拶から始めればいい。恋愛経験と同じで断られて失敗したほうがなにもせずに終わるよりいい。
「翻訳」
大学を卒業して6年間民間で勤めた後、公務員になった。そこでいじめられて鬱になった。公務員をすぐにやめてニュージーランドへ渡った。仕事に悩んでいじめられて対人関係に悩み、自己否定する鬱になった。今は恵まれた職場にいる。28才で公務員に転職したが、死ぬと思った。法律の知識がなくて困った。新卒で入った民間は良かった。公務員は指導役が年下で弁護士の勉強をしていたそうで法律に詳しかった。バカかって言われた。公務員になってからのほうが忙しかった。法律知識がなくて「なんでおまえみたいな奴が受かったか?」と言われた。もともと民間でも周りのサポートがあってやってこられた。9ヶ月で公務員を退職してワーキングホリデーでNZに渡った。今の会社は9年目。技術翻訳の仕事で得意を仕事にできた。辛いときもあるが向いていると思っている。自分のペースでできる。PCのプログラミング言語も特に要求されない。一昨年、鬱が再発して一人住まいだったが、なんとか病院にたどり着いた。町内会で順番に組長が回ってきた。昔から長が苦手だった。姉が名古屋にいるが、電話で助けを求めても助けてくれなかった。飼っていた犬に助けられた。極度の不眠になって辛い時期があった。死にたいと思っていた。鬱病であることを最初は隠していたが同僚に話したら、派遣面談で会社側にばれていることを知った。それでも首にはならなかった。契約更新もできるし実際には無期雇用に近い。